DICTIONARY · 心学辞典
心学辞典
孟子・陸九淵から王陽明と王門諸派まで、全 332 項目(概念 86、人物 156、出来事 31、典籍 26、学派 21、地名 12)。各項目の日本語は編集部による一文の定義です。古人自身の言葉を含む詳しい項目は中国語です。
概念
CONCEPTS · 86 項目B
- 抜本塞源論王陽明『顧東橋に答うる書』後半の長論。聖学が明らかでなくなった根源は、功利の習いが人心に深く入り込んだことにあると論じる。拔本塞源论 拔本塞源抜本塞源論
- 百姓日用即道王艮の宗旨。聖人の道は庶民の日々の暮らしと異ならないとする。百姓日用即道 百姓日用百姓日用即道
- 本体と工夫王門で議論された中心問題。良知の本体が誰にも現にそなわっているなら、なお工夫は必要か、どこから手をつけるのか。本体与工夫 本体工夫本体と工夫
- 本心『孟子』に出る仁義の心。陸九淵は「本心を発明する」ことを学問の要とした。本心 发明本心本心
- 必有事焉『孟子』公孫丑上に出る、気を養う工夫。王陽明は晩年「必有事焉」だけを説き、常に義を積むことだとした。必有事焉 勿忘勿助 集义 忘助必有事焉
- 弁志陸九淵の門で教える最初の一歩で、「義利の弁」のこと。ある事をするとき、心が本当に何を気にかけているかを見きわめる。辨志 义利之辨 义利弁志
- 博文約礼『論語』雍也篇の語。王陽明は「博文は約礼の工夫である」と言い、両者を一つの事とした。博文约礼 博约 博文 约礼博文約礼
- 不動心『孟子』公孫丑上の語。王陽明は、孟子は義を積んで自然に動じなくなったのであり、告子は心を無理に押さえつけたのだと言う。不动心不動心
C
- 誠意『大学』八条目の一つ。王陽明はこれを『大学』の工夫の総綱とし、劉宗周は学問の宗旨とした。诚意誠意
- 赤子の心『孟子』に出て、羅汝芳が宗旨とした語。赤子の心は学ばず慮らず、その場でおのずからそうである。赤子之心赤子の心
- 天理を存し人欲を去る宋明の儒者に共通する修養の綱領。王陽明は良知こそ天理であるとし、致良知がすなわち天理を存し人欲を去ることだとした。存天理去人欲 存天理 去人欲 天理 人欲天理を存し人欲を去る
E
- 二氏仏教と道教の二家を指す。二氏 佛老 二氏之学 佛氏 释氏 仙释二氏
G
- 格物『大学』「致知は格物に在り」の工夫。朱熹は事物について理を窮めることと解し、王陽明は「その不正を正して正に帰す」ことと解した。格物 格物致知 正其不正格物
- 功利の習い後世の学問に対する王陽明の総括的批判。学者が学問を名声や利禄を得る道具にしてしまったこと。功利之习 功利 记诵词章 训诂 记诵之烦功利の習い
- 光景王門の批判用語。静坐や体認の中に現れる、虚明・光明・空寂といった境地の感覚を指す。光景 玩弄光景 虚明光景光景
- 帰寂聶豹が唱え、羅洪先が賛同した主張。良知の本体は「寂」であり、まず寂に帰して体を立ててこそ、感応がおのずから節にかなう。归寂 归寂说 收摄保聚帰寂
H
- 淮南格物王艮による「格物」の解釈。身と天下国家は一つの物であり、自身を定規として天下国家を測り、己を正せば物も正しくなる。淮南格物淮南格物
- 活潑潑地程顥の言葉で、王陽明も認めた。天地の間は活き活きとしてこの理ならざるはなく、それがわが良知の絶えざる流行である。活泼泼地 鸢飞鱼跃 活泼泼活潑潑地
J
- 講会王陽明の門人が定期的に集まって学問を講じた組織の形。これによって陽明学は十六世紀に急速に広まった。讲会 讲学 会讲講会
- 節目時変顧璘が書簡で言った、礼の細目と非常時の処し方のこと。王陽明は、良知を致すことができれば節目時変はおのずと量れると答えた。节目时变 名物度数 温凊定省節目時変
- 戒慎恐懼『中庸』に出る工夫。王陽明は、良知が常に目覚めていて、暗まず放たない状態のことだと考えた。戒慎恐惧 戒惧戒慎恐懼
- 尽心知性知天『孟子』尽心上の語。「その心を尽くす者はその性を知る。その性を知れば天を知る。」尽心知性知天 尽心知性 生知安行 学知利行 困知勉行 存心养性 夭寿不贰尽心知性知天
- 精金の喩え聖人を精金にたとえた王陽明の説。聖人の心は純粋に天理で人欲が混じらず、誰でも聖人になれる。精金喻圣 成色分两 精金精金の喩え
- 静中に端倪を養い出す陳献章の学問の主張。静坐の中で心の本体の端緒を養い出し、それをもって日常に応じる。静中养出端倪 端倪静中に端倪を養い出す
- 静坐宋明の儒者がよく用いた修養法。陳献章はこれを入門とし、若い王陽明も散った心を収めるために静坐を教えた。静坐静坐
K
- 克己『論語』顔淵篇「己に克ちて礼に復るを仁と為す」の工夫。王陽明は、克己とは私欲を一毫も残さず掃き清めることだと言う。克己 克己复礼 己私 为己之心克己
- 狂者の胸次王陽明の自述。良知の真の是非を信じて手のままに行い、少しも覆い隠さない。狂者胸次 狂者狂者の胸次
L
- 立誠王陽明初期の講学の宗旨。一念が動くところに立って定める、「これが本を正し源を澄ますことであり、立誠である」。立诚 修辞立诚 诚身立誠
- 立志王陽明の言う学問の根本。「志立たざれば、天下に成すべき事なし。」立志立志
- 良能『孟子』に出る「学ばずして能くする」能力。教えられなくても親を愛し年長者を敬うことができる力。良能 不学而能良能
- 良知『孟子』に出て、王陽明が心の本体とした是非の心。誰にも本来そなわり、外に求める必要がない。良知良知
- 霊明心の知覚に対する王陽明の呼び名。「心の虚霊明覚が、すなわち本然の良知である」。灵明 虚灵明觉 一点灵明 心之灵明霊明
- 六経我に注す陸九淵の言葉。「学問がもし本を知れば、六経はみなわが注脚である」。経典は本心を確かめるものである。六经注我 六经皆我注脚 我注六经六経我に注す
M
- 満街すべて聖人『伝習録』下巻に載る、王艮が外出から帰って述べた言葉。良知が誰にも本来そなわっていることを言う。满街都是圣人 满街人都是圣人満街すべて聖人
- 明鏡王陽明がよく用いた比喩。聖人の心は明鏡のように、来るものに応じて映さないものはない。凡人の心はしっかり磨かねばならない。明镜 镜喻 磨镜明鏡
- 明徳を明らかにする『大学』三綱領の第一。王陽明は明徳を誰にもそなわる良知とした。明明德 明德明徳を明らかにする
- 明哲保身王艮『明哲保身論』の主張。身を保つことと人を愛することは一体であり、人を愛してこそ身を保てる。明哲保身 安身明哲保身
P
- 心中の賊を破る王陽明が1518年に南贛から門人に宛てた書簡の言葉。「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し。」破心中贼 破山中贼易破心中贼难 心中贼心中の賊を破る
Q
- 七情喜・怒・哀・懼・愛・悪・欲の総称。王陽明は、七情が自然の流れに従えば、みな良知のはたらきであると言う。七情 喜怒哀惧爱恶欲 七情之乐七情
- 気質の性張載が区別し、程朱が受け継いだ概念。人に不善があるのは、受けた気質に清濁・偏正があるからだとする。气质之性 义理之性 天地之性 气质気質の性
- 親民『大学』冒頭の「親民に在り」。程頤・朱熹は「新民」と読み改めたが、王陽明は古本に従って「親民」とした。亲民 新民親民
- 放心を求む孟子の説く学問の道。「学問の道は他なし、その放心を求むるのみ」、すなわち失われた本心を取り戻すこと。求放心 放心放心を求む
R
- 仁孔子の教えの中心となる徳目。心学では、仁・良知・天理は同じ心の本体の異なる呼び方である。仁 仁者 求仁 仁体仁
- 人心と道心『書経』大禹謨に出る一対の概念。王陽明は心はただ一つであり、二つの心に分けることに反対した。人心道心 十六字心传 惟精惟一 精一 道心 人心人心と道心
- 好色を好むが如く悪臭を悪むが如し『大学』が誠意を説く言葉。王陽明はこれを用いて知行合一を説明した。如好好色如恶恶臭 好好色 恶恶臭好色を好むが如く悪臭を悪むが如し
S
- 三悟王畿が伝える王陽明の「悟りに入る三つの教え方」。解悟・証悟・徹悟。三悟 解悟 证悟 彻悟 入悟三种三悟
- 慎独『大学』『中庸』の「君子は必ずその独りを慎む」工夫。「己ひとり知る」ところで力を用いる。慎独 独知慎独
- 聖人学ぶべし宋儒の学問の目標「聖人は学んで至るべし」。王陽明は精金の喩えで、誰でも聖人になれることを示した。圣人可学 人皆可以为尧舜 学为圣人聖人学ぶべし
- 識仁程顥の学問の主張。「学者はまず仁を識らねばならない」。しばしば心学の先駆とされる。识仁 识仁篇識仁
- 事上磨錬王陽明の工夫の主張。静かなところだけで工夫してはならず、「人は事の上で磨いてこそ立つことができる」。事上磨炼 事上磨事上磨錬
- 四端孟子の説く惻隠・羞悪・辞譲・是非の心。それぞれ仁・義・礼・智の端緒である。四端 四端之心四端
- 四句教王陽明晩年の教えの綱領。「善無く悪無きは心の体、善有り悪有るは意の動、善を知り悪を知るは是れ良知、善を為し悪を去るは是れ格物。」四句教 王门四句教 四句宗旨四句教
- 四有と四無天泉証道における四句教の二つの理解。王畿は自説を「四無」と称し、銭徳洪の説は後に「四有」と呼ばれた。四有四无 四无 四有 四无说四有と四無
- 随処に天理を体認す湛若水の宗旨。天理は日用を離れず、いつでもどこでも、動静や事に応じる中で体認しなければならない。随处体认天理 体认天理随処に天理を体認す
T
- 太虚張載の言う気の本来の状態。王陽明はこの語を借りて良知を説いた。「良知の虚は、すなわち天の太虚である」。太虚 良知之虚太虚
- 体用一源程頤『易伝序』の言葉。王陽明は、未発と已発、寂と感が分けられないことを説くのによく用いた。体用一源 体用体用一源
- 童心説李贄の文章とその主張。「童心とは、偽りを絶った純粋な真であり、最初の一念の本心である。」童心说 童心童心説
- 頭脳王陽明がよく口にした言葉で、学問の根本・中心を指す。良知こそ学問の大頭脳だと言う。头脑 为学头脑 主意头脑頭脳
W
- 万物一体程顥から受け継いだ王陽明の説。人の仁の心は本来天地万物と一体であり、私欲に隔てられて初めて彼我が分かれる。万物一体 天地万物为一体 一体之仁万物一体
- 未発と已発『中庸』に出る一対の概念。王陽明は「未発の中はすなわち良知である」と言い、別に未発を求める必要はないとした。未发已发 未发之中 中和 已发未発と已発
- 無善無悪四句教の第一句「善無く悪無きは心の体」の語。王陽明は、心の本体は至善であって善悪の相に執着しないことを言おうとした。无善无恶 无善无恶心之体無善無悪
- 自ら欺くこと毋かれ『大学』誠意章の言葉。王陽明は良知を基準とし、良知の知る善悪に従って行わないことが自らを欺くことだとした。毋自欺 自欺 自慊自ら欺くこと毋かれ
X
- 先ずその大なる者を立つ『孟子』に出て、陸九淵が宗旨とした言葉。まず人に本来そなわるこの心を立てること。先立乎其大者 先立其大 立乎其大先ずその大なる者を立つ
- 先天正心の学王畿による工夫の区分。「正心を先天の学とし、誠意を後天の学とする」。先天正心之学 先天之学 后天之学 先天后天先天正心の学
- 見在良知王畿らの主張。良知はいまここに完全にそなわっており、現在のこの一点の霊明がそのまま本体である。见在良知 现成良知 现在良知見在良知
- 心即理陸九淵・王陽明の学の中心命題。理は心の外になく、心が純粋に天理で私欲に覆われていないとき、そこから発するものがすなわち理である。心即理 心外无理 心外无事心即理
- 心外無物王陽明の説。物とは心意が向かう事柄であり、「意の在るところがすなわち物である」。心外无物 岩中花树 南镇观花心外無物
- 心の本体王陽明がよく用いた語で、私欲に覆われる前の心の本来の状態を指す。良知がすなわち心の本体である。心之本体 本体心の本体
- 省察克治王陽明が、いつも途切れてはならないとした工夫。私念を一つずつ追及して病の根を抜き去る、「猫が鼠を捕らえるように」。省察克治 省察 克治省察克治
- 性即理程頤が唱え朱熹が受け継いだ命題。人の本性がすなわち天理である。性即理性即理
Y
- 研幾王門と劉宗周がよく説いた工夫。念が動こうとしてまだ動かない微細なところで力を用いる。研几 几 诚神几 慎几研幾
- 夜気『孟子』告子上に出る説。夜や早朝、まだ物に接していないとき、良心が現れやすい。夜气 平旦之气夜気
- 易簡の工夫陸九淵の学問の主張。まず本心に立ち返って根本をつかみ、章句訓詁の枝葉に精神を費やさない。易简工夫 易简 支离 支离事业易簡の工夫
- 一念発動の処、便ち是れ行知行合一の意図を説明した王陽明の言葉。念が起こった時点ですでに行であり、そこで不善を徹底して克服しなければならない。一念发动处便是行 一念发动一念発動の処、便ち是れ行
- 意は心の存する所劉宗周の主張。意とは心の中で善を好み悪を憎む定まった方向であり主宰であって、心から発するものではない。意为心之所存 意根 心之所存意は心の存する所
- 宇宙即吾心陸九淵の言葉。「宇宙はすなわちわが心、わが心はすなわち宇宙。」宇宙即吾心 宇宙便是吾心 吾心即是宇宙宇宙即吾心
Z
- 真誠惻怛王陽明が晩年『聶文蔚に答う』第二書で述べた良知の本体。真诚恻怛 良知只是一个真诚恻怛真誠惻怛
- 真知王陽明の言う、切実で着実なところまで至った知。「真知はすなわち行であり、行わなければ知とは言えない」。真知 真知即所以为行真知
- 致良知王陽明晩年の学問の宗旨。本来もつ良知をあらゆる事柄に推し及ぼし、事事物物がそれぞれその理を得るようにすること。致良知 致知致良知
- 知行合一王陽明が1509年に貴陽書院で説き始めた宗旨。知と行はもともと一つの工夫である。知行合一 知是行之始 行是知之成知行合一
- 至善に止まる『大学』三綱領の第三。王陽明は「至善は心の本体である」と言う。止于至善 至善至善に止まる
- 植樹の喩え立志と工夫を木を植えることにたとえた王陽明の説。ただ培い水をやるだけで、結果を思い描いても益はない。种树之喻 立志如种树 栽培灌溉植樹の喩え
- 主静周敦頤が『太極図説』で唱えた修養の主張。「聖人はこれを定むるに中正仁義を以てし、静を主とす」。主静 无欲故静主静
- 主敬程頤・朱熹の修養の工夫。「涵養は須く敬を用うべし、進学は則ち致知に在り」。主敬 居敬 持敬 居敬穷理主敬
- 主一程頤が「主一無適」で敬を説明した言葉。王陽明は「主一とは専ら一つの天理を主とすることだ」と言う。主一 主一之功 主一无适主一
- 尊徳性と道問学『中庸』に出る両端。後世、陸九淵と朱熹の違いをまとめる語としてよく用いられる。尊德性与道问学 尊德性 道问学尊徳性と道問学
人物
PEOPLE · 156 項目C
- 蔡宗兗蔡宗兗は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・浙中王門学案』にその伝を立てた。蔡宗兖 蔡我斋 我斋 蔡我斋蔡宗兗
- 陳嘉謨陳嘉謨は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・江右王門学案』にその伝を立てた。陈嘉谟 陈蒙山 蒙山 陈蒙山陳嘉謨
- 陳九川陳九川(1494–1562)は王陽明の門人で、号は明水、江西臨川の人。『伝習録』下巻冒頭の一連の問答は彼の記録である。陈九川 明水 惟濬 陈明水 陈惟濬陳九川
- 陳茂烈陳茂烈は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・白沙学案』にその伝を立てた。陈茂烈 陈时周 时周 陈时周陳茂烈
- 陳献章陳献章(1428–1500)は明代の学者で、広東新会白沙里の人、白沙先生と呼ばれる。静中に端倪を養い出すことを説いた。陈献章 白沙 白沙先生 公甫 陈白沙 陈白沙 陈公甫陳献章
- 陳庸陳庸は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・白沙学案』にその伝を立てた。陈庸 陈秉常 秉常 陈秉常陳庸
- 程顥程顥(1032–1085)は北宋の学者で、明道先生と呼ばれる。「識仁」を説き、しばしば心学の先駆とされる。程颢 明道 伯淳 大程 程明道 程伯淳 程大程程顥
- 程文德程文德は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・浙中王門学案』にその伝を立てた。程文德 程松溪 松溪 程松溪程文德
- 程頤程頤(1033–1107)は北宋の学者で、伊川先生と呼ばれる。程顥の弟で、「性即理」を唱え、朱熹に受け継がれた。程颐 伊川 正叔 小程 程伊川 程正叔 程小程程頤
D
- 大塩平八郎大塩平八郎(1793–1837)は日本・大坂の陽明学者で、号は中斎。1837年に民衆を率いて挙兵した。大盐平八郎 大盐中斋 中斋 大中斋大塩平八郎
- 鄧以賛鄧以賛は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・江右王門学案』にその伝を立てた。邓以赞 邓定宇 定宇 邓定宇鄧以賛
- 鄧元錫鄧元錫は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・江右王門学案』にその伝を立てた。邓元锡 邓潜谷 潜谷 邓潜谷鄧元錫
- 董澐董澐(1457–1533)は王陽明の門人で、号は蘿石、浙江海寧の人。六十八歳で陽明の講学を聞き、強く願って弟子となった。董沄 萝石 董萝石 董萝石董澐
F
- 方献夫方献夫は明代の官僚で王陽明の門人、号は西樵、広東南海の人。武英殿大学士に至った。方献夫 西樵 叔贤 方叔贤 方西樵 方西樵 方叔贤方献夫
- 方学漸方学漸は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・泰州学案』にその伝を立てた。方学渐 方本菴 本菴 方本菴方学漸
- 馮応京馮応京は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・江右王門学案』にその伝を立てた。冯应京 冯慕冈 慕冈 冯慕冈馮応京
G
- 高攀竜高攀竜(1562–1626)は明代の学者で、号は景逸。東林書院の主講の一人で、朱子を宗としつつ心学も取り入れた。高攀龙 景逸 存之 忠宪 高忠宪 高景逸 高存之 高忠宪高攀竜
- 告子告子は戦国時代の人で、孟子と人性を論じ、「生を之れ性と謂う」と主張した。告子告子
- 耿定理耿定理は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・泰州学案』にその伝を立てた。耿定理 耿楚倥 楚倥 耿楚倥耿定理
- 耿定向耿定向(1524–1596)は明代の学者で、号は天台、湖北黄安の人。戸部尚書に至り、李贄と長く論争した。耿定向 天台 在伦 耿天台 耿天台 耿在伦耿定向
- 顧璘顧璘(1476–1545)は明代の文人で、号は東橋、南京の人。王陽明は彼の疑問に応えて『顧東橋に答うる書』を書いた。顾璘 东桥 华玉 顾东桥 顾东桥 顾华玉顧璘
- 顧憲成顧憲成(1550–1612)は明代の学者で、号は涇陽、江蘇無錫の人。1604年、高攀竜らと東林書院を再建して講学した。顾宪成 泾阳 叔时 顾泾阳 顾泾阳 顾叔时顧憲成
- 顧応祥顧応祥は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・浙中王門学案』にその伝を立てた。顾应祥 顾箬溪 箬溪 顾箬溪顧応祥
- 桂萼桂萼(?–1531)は嘉靖初年に内閣に入った大臣。陽明の没後に上疏して陽明を攻撃し、朝廷はその世襲の爵位を停止し学を禁じた。桂萼 子实 见山 桂子实 桂见山桂萼
H
- 賀欽賀欽は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・白沙学案』にその伝を立てた。贺钦 贺医闾 医闾 贺医闾賀欽
- 何廷矩何廷矩は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・白沙学案』にその伝を立てた。何廷矩 何时振 时振 何时振何廷矩
- 何廷仁何廷仁は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・江右王門学案』にその伝を立てた。何廷仁 何善山 善山 何善山何廷仁
- 何祥何祥は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・泰州学案』にその伝を立てた。何祥 何克斋 克斋 何克斋何祥
- 何心隠何心隠(1517–1579)は明代の学者で、本名は梁汝元、江西永豊の人。顔鈞に師事し、1579年に捕らえられて獄死した。何心隐 梁汝元 柱乾 夫山 何柱乾 何夫山何心隠
- 胡瀚胡瀚は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・浙中王門学案』にその伝を立てた。胡瀚 胡今山 今山 胡今山胡瀚
- 胡直胡直は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・江右王門学案』にその伝を立てた。胡直 胡庐山 庐山 胡庐山胡直
- 黄弘綱黄弘綱は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・江右王門学案』にその伝を立てた。黄弘纲 黄洛村 洛村 黄洛村黄弘綱
- 黄綰黄綰(1480–1554)は王陽明の門人で、号は久庵、浙江黄巌の人。はじめ陽明の友であったが、のちに弟子の礼をとった。黄绾 久庵 宗贤 黄久庵 黄久庵 黄宗贤黄綰
- 黄省曽黄省曽(1490–1540)は王陽明の門人で、号は五岳、蘇州の人。『伝習録』下巻に彼の記録した問答がある。黄省曾 五岳 勉之 黄五岳 黄勉之黄省曽
- 黄修易黄修易は王陽明の門人。『伝習録』下巻に「以下門人黄修易録」の一節がある。黄修易 勉叔 黄勉叔 黄勉叔黄修易
- 黄直黄直は王陽明の門人で、字は以方。『伝習録』下巻に「以下門人黄直録」の一節がある。黄直 以方 黄以方 黄以方黄直
- 黄宗明黄宗明は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・浙中王門学案』にその伝を立てた。黄宗明 黄致斋 致斋 黄致斋黄宗明
- 黄宗羲黄宗羲(1610–1695)は明清交替期の学者で、号は南雷、梨洲先生と呼ばれる。浙江余姚の人で劉宗周の弟子、『明儒学案』を著した。黄宗羲 梨洲 太冲 南雷 黄梨洲 黄梨洲 黄太冲 黄南雷黄宗羲
J
- 季本季本(1485–1563)は王陽明の門人で、号は彭山、浙江会稽の人。『竜惕書』を著した。季本 彭山 明德 季彭山 季彭山 季明德季本
- 冀元亨冀元亨(1482–1521)は王陽明の門人で、湖南武陵の人。寧王の乱の平定後、一味であると誣告されて投獄された。冀元亨 惟乾 暗斋 冀惟乾 冀暗斋冀元亨
- 蒋信蒋信(1483–1559)は明代の学者で、号は道林、湖南常徳の人。王陽明と湛若水に相次いで師事した。蒋信 道林 卿实 蒋道林 蒋卿实蒋信
- 焦竑焦竑(1540–1620)は明代の学者で、号は澹園、南京の人。1589年の状元で、耿定向の弟子。焦竑 澹园 弱侯 焦澹园 焦澹园 焦弱侯焦竑
K
- 孔子孔子(前551–前479)は春秋時代の魯の人で、名は丘、字は仲尼。儒家の創始者。孔子 孔丘 仲尼 夫子 孔仲尼 孔夫子孔子
L
- 李材李材は明代の学者で、号は見羅、江西豊城の人。独自に「止修」を宗旨とし、黄宗羲は彼のために『止修学案』を立てた。李材 见罗 孟诚 李见罗 李见罗 李孟诚李材
- 李承箕李承箕は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・白沙学案』にその伝を立てた。李承箕 李大厓 大厓 李大厓李承箕
- 李孔修李孔修は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・白沙学案』にその伝を立てた。李孔修 李抱真 抱真 李抱真李孔修
- 李侗李侗(1093–1163)は南宋の学者で、延平先生と呼ばれる。朱熹の師で、「黙坐して心を澄まし、天理を体認せよ」と教えた。李侗 延平 愿中 李延平 李延平 李愿中李侗
- 李顒李顒(1627–1705)は清初の関中の大儒で、号は二曲、陝西盩厔の人。「過ちを悔いて自ら新たにする」ことを説き、学は陸王に近い。李颙 二曲 中孚 李二曲 李中孚李顒
- 李贄李贄(1527–1602)は明代の学者で、号は卓吾、福建泉州晋江の人。『童心説』を書き、『焚書』『蔵書』を著した。李贽 卓吾 宏甫 温陵居士 李卓吾 李卓吾 李宏甫李贄
- 梁焯梁焯は王陽明の門人で、字は日孚、広東南海の人。進士で、職方主事を務めた。梁焯 日孚 梁日孚 梁日孚梁焯
- 林春林春は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・泰州学案』にその伝を立てた。林春 林东城 东城 林东城林春
- 林光林光は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・白沙学案』にその伝を立てた。林光 林缉熙 缉熙 林缉熙林光
- 劉邦採劉邦採は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・江右王門学案』にその伝を立てた。刘邦采 刘师泉 师泉 刘师泉劉邦採
- 劉瑾劉瑾(?–1510)は明の武宗の時の宦官。1506年、王陽明は上疏して彼の怒りに触れ、竜場駅の駅丞に左遷された。刘瑾劉瑾
- 劉魁劉魁は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・江右王門学案』にその伝を立てた。刘魁 刘晴川 晴川 刘晴川劉魁
- 劉塙劉塙は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・泰州学案』にその伝を立てた。刘塙 刘冲倩 冲倩 刘冲倩劉塙
- 劉文敏劉文敏は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・江右王門学案』にその伝を立てた。刘文敏 刘两峰 两峰 刘两峰劉文敏
- 劉曉劉曉は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・江右王門学案』にその伝を立てた。刘晓 刘梅源 梅源 刘梅源劉曉
- 劉陽劉陽は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・江右王門学案』にその伝を立てた。刘阳 刘三五 三五 刘三五劉陽
- 劉元卿劉元卿は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・江右王門学案』にその伝を立てた。刘元卿 刘泸潇 泸潇 刘泸潇劉元卿
- 劉宗周劉宗周(1578–1645)は明代の学者で、号は念台、浙江山陰の人。蕺山で講学し蕺山先生と呼ばれ、誠意・慎独を宗とした。刘宗周 蕺山 念台 起东 刘蕺山 刘蕺山 刘念台 刘起东劉宗周
- 婁諒婁諒(1422–1491)は明代の学者で、号は一斎、呉与弼の弟子。王陽明は十八歳のとき彼を訪ねた。娄谅 一斋 克贞 娄一斋 娄克贞婁諒
- 陸澄陸澄は王陽明の門人で、字は原静、浙江帰安の人。『伝習録』上巻に彼の記録がある。陆澄 原静 清伯 陆原静 陆原静 陆清伯陸澄
- 陸九齢陸九齢(1132–1180)は南宋の学者で、号は復斎、陸九淵の兄。九淵とともに「二陸」と称される。陆九龄 复斋 子寿 陆复斋 陆子寿陸九齢
- 陸九韶陸九韶は南宋の学者で、号は梭山、陸九淵の兄。「無極」の二字について朱熹に書簡で疑問を呈した。陆九韶 梭山 子美 陆梭山 陆子美陸九韶
- 陸九淵(陸象山)陸九淵(1139–1193)は南宋の学者で、江西撫州金渓の人、象山先生と呼ばれる。心即理を説き、後世、王陽明と並べて「陸王」と称される。陆九渊 陆象山 象山 象山先生 子静 陆子静 陆象山 陆子静陸九淵(陸象山)
- 羅大紘羅大紘は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・江右王門学案』にその伝を立てた。罗大纮 罗匡湖 匡湖 罗匡湖羅大紘
- 羅洪先羅洪先(1504–1564)は明代の学者で、号は念庵、江西吉水の人、1529年の状元。陽明に私淑し、聶豹の「帰寂」を支持した。罗洪先 念庵 达夫 罗念庵 罗念庵 罗达夫羅洪先
- 羅欽順羅欽順(1465–1547)は明代の学者で、号は整庵、江西泰和の人。『困知記』を著し、『大学』古本について陽明に書簡で疑問を呈した。罗钦顺 整庵 允升 罗整庵 罗整庵 罗允升羅欽順
- 羅汝芳羅汝芳(1515–1588)は泰州学派の重要人物で、号は近渓、江西南城の人。赤子の心、学ばず慮らずを説いた。罗汝芳 近溪 惟德 罗近溪 罗近溪 罗惟德羅汝芳
- 呂祖謙呂祖謙(1137–1181)は南宋の学者で、東萊先生と呼ばれる。1175年、朱熹と陸氏兄弟を鵝湖寺での会見に招いた。吕祖谦 东莱 伯恭 吕东莱 吕伯恭呂祖謙
M
- 馬明衡馬明衡は王陽明の門人で、字は子莘、福建莆田の人、御史。黄宗羲は閩中で陽明を学んだ者の中で最も著名だとした。马明衡 子莘 马子莘 马子莘馬明衡
- 孟化鯉孟化鯉は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・北方王門学案』にその伝を立てた。孟化鲤 孟云浦 云浦 孟云浦孟化鯉
- 孟秋孟秋は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・北方王門学案』にその伝を立てた。孟秋 孟我疆 我疆 孟我疆孟秋
- 孟源孟源は王陽明の門人で、独りよがりで名を好む欠点があり、陽明にたびたび叱責された。孟源 伯生 孟伯生孟源
- 孟子孟子(前372頃–前289頃)は戦国時代の鄒の人で、名は軻。性善を説き、「良知」の語は孟子に出る。心学の源流。孟子 孟轲孟子
- 牟宗三牟宗三(1909–1995)は熊十力の弟子で、現代新儒家の代表的人物。牟宗三牟宗三
- 穆孔暉穆孔暉は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・北方王門学案』にその伝を立てた。穆孔晖 穆玄菴 玄菴 穆玄菴穆孔暉
N
- 南大吉南大吉(1487–1541)は王陽明の門人で、陝西渭南の人。1524年に『伝習録』を続刻し、これが今日の中巻の基礎となった。南大吉 瑞泉 元善 南瑞泉 南元善南大吉
- 聶豹聶豹(1487–1563)は明代の学者で、号は双江、江西永豊の人。陽明の没後に門人を称し、「帰寂」説を唱えた。聂豹 双江 文蔚 聂双江 聂文蔚 聂双江 聂文蔚聶豹
O
- 欧陽徳欧陽徳(1496–1554)は王陽明の門人で、号は南野、江西泰和の人。礼部尚書に至った。欧阳德 南野 崇一 欧阳南野 欧阳南野 欧阳崇一欧陽徳
P
- 潘士藻潘士藻は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・泰州学案』にその伝を立てた。潘士藻 潘雪松 雪松 潘雪松潘士藻
Q
- 銭徳洪銭徳洪(1496–1574)は陽明晩年の重要な門人で、号は緒山、余姚の人。年譜・文録と『伝習録』下巻の編纂を主宰した。钱德洪 绪山 洪甫 钱绪山 德洪 钱绪山 钱洪甫 钱德洪銭徳洪
S
- 史桂芳史桂芳は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・白沙学案』にその伝を立てた。史桂芳 史惺堂 惺堂 史惺堂史桂芳
- 宋儀望宋儀望は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・江右王門学案』にその伝を立てた。宋仪望 宋望之 望之 宋望之宋儀望
- 孫奇逢孫奇逢(1584–1675)は明清交替期の学者で、夏峰先生と呼ばれ、河北容城の人。清初の北方の大儒で、陸王を宗としつつ程朱も取り入れた。孙奇逢 夏峰 启泰 钟元 孙夏峰 孙启泰 孙钟元孫奇逢
T
- 唐鶴徴唐鶴徴は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・南中王門学案』にその伝を立てた。唐鹤征 唐凝菴 凝菴 唐凝菴唐鶴徴
- 唐順之唐順之は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・南中王門学案』にその伝を立てた。唐顺之 唐荆川 荆川 唐荆川唐順之
- 陶望齢陶望齢は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・泰州学案』にその伝を立てた。陶望龄 陶石篑 石篑 陶石篑陶望齢
W
- 万表万表は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・浙中王門学案』にその伝を立てた。万表 万鹿园 鹿园 万鹿园万表
- 万廷言万廷言は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・江右王門学案』にその伝を立てた。万廷言 万思默 思默 万思默万廷言
- 王襞王襞(1511–1587)は王艮の次男で、号は東厓。泰州学派の重要な継承者。王襞 东崖 宗顺 王东崖 王东崖 王宗顺王襞
- 王棟王棟(1503–1581)は王艮の一族で弟子、号は一庵。「意」は心の主宰であると説いた。王栋 一庵 隆吉 王一庵 王一庵 王隆吉王棟
- 王艮王艮(1483–1541)は王陽明の門人で、号は心斎。泰州安豊場の塩丁の出で、泰州学派を開いた。王艮 心斋 汝止 王心斋 王心斋 王汝止王艮
- 王華王華(1446–1522)は王陽明の父。1481年の状元で、南京吏部尚書に至った。王华 龙山 德辉 实庵 海日翁 海日公 王龙山 王德辉 王实庵王華
- 王畿(王竜渓)王畿(1498–1583)は陽明晩年の重要な門人で、号は竜渓、浙江山陰の人。「四無」説を唱えた。王畿 龙溪 汝中 王龙溪 王龙溪 王汝中王畿(王竜渓)
- 王時槐王時槐(1522–1605)は江右王門後期の代表で、号は塘南、江西安福の人。「透性研幾」を宗旨とした。王时槐 塘南 子植 王塘南 王塘南 王子植王時槐
- 王陽明王陽明(1472–1529)は明代の学者で、名は守仁、字は伯安、浙江余姚の人、陽明先生と呼ばれる。1508年の竜場の悟りの後に知行合一を説き、晩年は致良知を宗旨として掲げた。王阳明 王守仁 阳明 阳明先生 阳明子 伯安 文成 王文成 王阳明 王伯安 王文成王陽明
- 王宗沐王宗沐は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・浙中王門学案』にその伝を立てた。王宗沐 王敬所 敬所 王敬所王宗沐
- 魏良弼魏良弼は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・江右王門学案』にその伝を立てた。魏良弼 魏水洲 水洲 魏水洲魏良弼
- 魏良器魏良器は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・江右王門学案』にその伝を立てた。魏良器 魏药湖 药湖 魏药湖魏良器
- 魏良政魏良政は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・江右王門学案』にその伝を立てた。魏良政 魏师伊 师伊 魏师伊魏良政
- 呉与弼呉与弼(1391–1469)は明代の学者で、号は康斎、江西崇仁の人。『明儒学案』は「崇仁学案」を巻頭に置く。吴与弼 康斋 子傅 吴康斋 吴子傅呉与弼
X
- 席書席書(1461–1527)は明代の官僚で、号は元山。当時貴州提学副使で、1509年に陽明を貴陽書院の主講に招いた。席书 元山 文同 席元山 席文同席書
- 蕭恵蕭恵は王陽明の門人で、神仙・仏教の学を好んだ。『伝習録』上巻に「己私克ち難し」との問いが載る。萧惠蕭恵
- 謝祐謝祐は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・白沙学案』にその伝を立てた。谢祐 谢天锡 天锡 谢天锡謝祐
- 熊十力熊十力(1885–1968)は現代新儒家の創始者の一人で、『新唯識論』を著した。熊十力 子真 熊子真熊十力
- 熊沢蕃山熊沢蕃山(1619–1691)は日本の儒者で中江藤樹の弟子。陽明学を藩政などの実務に生かした。熊泽蕃山 蕃山 熊蕃山熊沢蕃山
- 徐愛徐愛(1487–1517)は王陽明の妹婿で最も早い門人の一人。『伝習録』上巻の冒頭は徐愛の記録である。徐爱 曰仁 横山 徐曰仁 徐曰仁 徐横山徐愛
- 許孚遠許孚遠(1535–1604)は明代の学者で、号は敬庵、浙江徳清の人。劉宗周の師で、『九諦』を書いて「無善無悪」説に反対した。许孚远 敬庵 孟中 许敬庵 许孟中許孚遠
- 徐階徐階は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・南中王門学案』にその伝を立てた。徐阶 徐存斋 存斋 徐存斋徐階
- 徐用検徐用検は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・浙中王門学案』にその伝を立てた。徐用检 徐鲁源 鲁源 徐鲁源徐用検
- 徐樾徐樾は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・泰州学案』にその伝を立てた。徐樾 徐波石 波石 徐波石徐樾
- 薛甲薛甲は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・南中王門学案』にその伝を立てた。薛甲 薛畏斋 畏斋 薛畏斋薛甲
- 薛侃薛侃(1486–1545)は王陽明の門人で、号は中離、広東掲陽の人。1518年に贛州で『伝習録』を初めて刊行した。薛侃 中离 尚谦 薛尚谦 薛中离 薛尚谦薛侃
- 薛応旂薛応旂は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・南中王門学案』にその伝を立てた。薛应旂 薛方山 方山 薛方山薛応旂
Y
- 顔回顔回は孔子の弟子で、学を好み、「怒りを遷さず、過ちを弐たびせず」として知られる。颜回 颜子 颜渊 子渊 颜子渊顔回
- 顔鈞顔鈞(1504–1596)は泰州学派の継承者で、号は山農、江西永新の人。羅汝芳の師。颜钧 山农 子和 颜山农 颜山农 颜子和顔鈞
- 楊東明楊東明は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・北方王門学案』にその伝を立てた。杨东明 杨晋菴 晋菴 杨晋菴楊東明
- 楊驥楊驥は王陽明の門人で、字は仕徳、広東の人。はじめ湛若水に学び、のち陽明のもとで学を終えた。杨骥 仕德 杨仕德 杨仕德楊驥
- 楊簡楊簡(1141–1226)は南宋の学者で、慈湖先生と呼ばれる。陸九淵の最も著名な弟子で、甬上四先生の一人。杨简 慈湖 敬仲 杨慈湖 杨敬仲楊簡
- 楊起元楊起元は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・泰州学案』にその伝を立てた。杨起元 杨复所 复所 杨复所楊起元
- 楊時楊時(1053–1135)は二程の弟子で、号は亀山。南に帰って洛学を伝え、のち朱熹に至った。「道南一脈」と呼ばれる。杨时 龟山 中立 杨龟山 杨龟山 杨中立楊時
- 楊豫孫楊豫孫は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・南中王門学案』にその伝を立てた。杨豫孙 杨幼殷 幼殷 杨幼殷楊豫孫
- 尤時熙尤時熙は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・北方王門学案』にその伝を立てた。尤时熙 尤西川 西川 尤西川尤時熙
- 袁燮袁燮(1144–1224)は南宋の学者で、号は絜斎。陸九淵の弟子で、甬上四先生の一人。袁燮 絜斋 和叔 袁絜斋 袁和叔袁燮
Z
- 曾点曾点は孔子の弟子で、字は皙、曾参の父。「沂に浴し、舞雩に風し、詠じて帰らん」と志を述べたことで知られる。曾点 曾皙 曾晳曾点
- 曾子曾子は孔子の弟子で、「吾日に三たび吾が身を省みる」(『論語』学而)で知られる。曾子 曾参 子舆 曾子舆曾子
- 湛若水湛若水(1466–1560)は明代の学者で、号は甘泉、広東増城の人。陳献章の弟子で、随処に天理を体認することを説いた。湛若水 甘泉 元明 湛甘泉 湛甘泉 湛元明湛若水
- 張後覚張後覚は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・北方王門学案』にその伝を立てた。张后觉 张弘山 弘山 张弘山張後覚
- 章潢章潢は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・江右王門学案』にその伝を立てた。章潢 章本清 本清 章本清章潢
- 張居正張居正(1525–1582)は万暦初年の首輔で、号は太岳。1579年に天下の書院の取り壊しを命じた。张居正 太岳 叔大 张太岳 张叔大張居正
- 張詡張詡は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・白沙学案』にその伝を立てた。张诩 张东所 东所 张东所張詡
- 張元忭張元忭は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・浙中王門学案』にその伝を立てた。张元忭 张阳和 阳和 张阳和張元忭
- 張元衝張元衝は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・浙中王門学案』にその伝を立てた。张元冲 张浮峰 浮峰 张浮峰張元衝
- 張載張載(1020–1077)は北宋理学の創始者の一人で、横渠先生と呼ばれる。『正蒙』『西銘』を著した。张载 横渠 子厚 张横渠 张横渠 张子厚張載
- 趙貞吉趙貞吉は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・泰州学案』にその伝を立てた。赵贞吉 赵大洲 大洲 赵大洲趙貞吉
- 鄭斉斗鄭斉斗(1649–1736)は朝鮮王朝における陽明学の代表的人物で、号は霞谷。郑齐斗 霞谷 郑霞谷鄭斉斗
- 鄭一初鄭一初は王陽明の門人で、字は朝朔、広東掲陽の人。1505年の進士で御史を務めた。郑一初 朝朔 郑朝朔 郑朝朔鄭一初
- 中江藤樹中江藤樹(1608–1648)は江戸初期の儒者で近江の人。日本陽明学の祖と仰がれる。中江藤树 藤树 中藤树中江藤樹
- 周衝周衝は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・南中王門学案』にその伝を立てた。周冲 周静菴 静菴 周静菴周衝
- 周敦頤周敦頤(1017–1073)は北宋の学者で、号は濂渓。『太極図説』『通書』を著し、理学の開祖と仰がれる。周敦颐 濂溪 周茂叔 茂叔 周濂溪 周茂叔周敦頤
- 周汝登周汝登(1547–1629)は明代の学者で、号は海門、浙江嵊県の人。王畿の「四無」説を宗とした。周汝登 海门 继元 周海门 周海门 周继元周汝登
- 周坦周坦は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・粤閩王門学案』にその伝を立てた。周坦 周谦斋 谦斋 周谦斋周坦
- 周怡周怡は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・南中王門学案』にその伝を立てた。周怡 周讷谿 讷谿 周讷谿周怡
- 朱宸濠(寧王)朱宸濠(?–1521)は明の宗室で第四代寧王。1519年に挙兵して反乱を起こし、王陽明に生け捕りにされた。朱宸濠 宁王 宸濠 朱宁王 朱宸濠朱宸濠(寧王)
- 朱得之朱得之は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・南中王門学案』にその伝を立てた。朱得之 朱近斋 近斋 朱近斋朱得之
- 朱節朱節は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・浙中王門学案』にその伝を立てた。朱节 朱白浦 白浦 朱白浦朱節
- 祝世禄祝世禄は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・泰州学案』にその伝を立てた。祝世禄 祝无功 无功 祝无功祝世禄
- 朱熹朱熹(1130–1200)は南宋の学者で、号は晦庵。理学を集大成し、『四書章句集注』を著した。朱熹 朱子 晦庵 元晦 紫阳 晦翁 朱晦庵 朱元晦 朱紫阳 朱晦翁朱熹
- 子思子思は孔子の孫で、『中庸』の作者と伝えられる。子思 孔伋 子孔伋子思
- 子夏子夏は孔子の弟子で、姓は卜、名は商。文学で知られる。子夏 卜商 子卜商子夏
- 鄒守益鄒守益(1491–1562)は王陽明の門人で、号は東廓、江西安福の人。戒懼・慎独を致良知の工夫とした。邹守益 东廓 谦之 邹东廓 邹东廓 邹谦之鄒守益
- 鄒元標鄒元標は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・江右王門学案』にその伝を立てた。邹元标 邹南臬 南臬 邹南臬鄒元標
- 鄒智鄒智は明代の学者で、黄宗羲が『明儒学案・白沙学案』にその伝を立てた。邹智 邹立斋 立斋 邹立斋鄒智
- 佐藤一斎佐藤一斎(1772–1859)は江戸後期の儒者で、昌平坂学問所の儒官を務め、『言志四録』を著した。佐藤一斋 一斋 佐一斋佐藤一斎
出来事
EVENTS · 31 項目B
- 白鹿洞講義白鹿洞講義は、1181年に陸九淵が朱熹の招きで廬山の白鹿洞書院において『論語』「君子は義に喩り、小人は利に喩る」の章を講じた講義である。白鹿洞讲义 白鹿洞书院讲义 喻义喻利白鹿洞講義
C
- 『伝習録』の初刻『伝習録』の初刻は、1518年に薛侃が贛州で徐愛・陸澄と自身の記録した陽明の語録を刊行したもので、今日の上巻にあたる。初刻传习录『伝習録』の初刻
- 滁州講学滁州講学は、1513年から1514年にかけて王陽明が南京太僕寺少卿として滁州に駐在し、講学して門人に静坐を教えた経験である。滁州讲学 居滁 滁阳滁州講学
D
- 大礼の議大礼の議は、明の世宗の即位後、孝宗と実父の興献王のどちらを「皇考」とすべきかをめぐって朝廷で続いた長い論争である。大礼议 议大礼大礼の議
- 東林講学東林講学は、1604年に顧憲成・高攀竜らが無錫の東林書院を再建して講学し、「無善無悪」説を批判した事件である。东林讲学 东林书院東林講学
E
F
G
J
- 嘉靖の学禁嘉靖の学禁は、王陽明の没後、桂萼らの上疏を受けて、朝廷がその世襲の爵位と恤典を停止し、その学を退けて禁じた事件である。嘉靖禁学 禁伪学 停世袭嘉靖の学禁
- 致良知を掲げる致良知を掲げたのは、1521年に王陽明が江西で「致良知」の教えを正式に打ち出したことで、以後これを生涯の学問の宗旨とした。揭致良知 提出致良知致良知を掲げる
- 九諦九解九諦九解は、万暦年間に許孚遠が『九諦』を書いて周汝登の「無善無悪」説を論難し、周汝登が『九解』で応じた論争である。九谛九解九諦九解
- 越での講学越での講学は、寧王の乱の後、王陽明が紹興に帰り、父の喪に服しつつ講学した六年間を指す。『伝習録』下巻の問答の多くはこの時期のものである。居越讲学 越中讲学越での講学
L
- 霊済宮の講会霊済宮の講会は、1553年から1554年にかけて徐階が北京の霊済宮で主宰した講会で、陽明学が都で最も盛んだった時期である。灵济宫讲会 灵济宫之会 灵济宫大会霊済宮の講会
- 竜場の悟り竜場の悟りは、1508年に王陽明が貴州竜場駅の困苦の中で、格物致知の意味を突然悟った経験である。「聖人の道は吾が性に自ら足る」。龙场悟道 龙场之悟竜場の悟り
- 竜場への謫居竜場への謫居は、1506年に王陽明が言官を救う上疏のため貴州竜場駅の駅丞に左遷され、1508年に着任し、困難の中で悟りに至った経験である。龙场谪居 贬谪龙场 廷杖竜場への謫居
M
- 『明儒学案』の成立『明儒学案』の成立は、1676年ごろ黄宗羲が全六十二巻の『明儒学案』を編み終えたことを指す。明儒学案成书『明儒学案』の成立
N
P
- 寧王の乱の平定寧王の乱の平定は、1519年に王陽明が吉安で兵を挙げ、一か月あまりで反乱を起こした寧王朱宸濠を生け捕りにした事件である。平定宁王之乱 宸濠之乱 宁王之乱寧王の乱の平定
Q
- 慶元党禁慶元党禁は、宋の寧宗慶元年間に韓侂冑が政権を握り、朱熹ら道学の士を「偽学」として退け、その学術と仕官を禁じた学禁である。庆元党禁 伪学之禁 庆元伪学 伪学逆党慶元党禁
S
- 知行合一を説き始める知行合一を説き始めたのは、1509年に王陽明が席書の招きで貴陽書院の主講となり、そこで知行合一を講じ始めたことを指す。始论知行合一 贵阳讲学知行合一を説き始める
- 思田の役思田の役は、1527年に王陽明が両広の軍務を総督し、招撫を主として広西の思恩・田州の土官の乱を鎮めた事件である。思田之役 征思田思田の役
T
W
X
Y
- 厳灘問答厳灘問答は、天泉証道の後、銭徳洪と王畿が陽明を厳灘まで見送ったときの問答で、陽明は「有心はともに実、無心はともに幻。無心はともに実、有心はともに幻」と述べた。严滩问答 严滩厳灘問答
- 陽明の死陽明の死は、嘉靖七年十一月二十九日(1529年1月9日)、王陽明が江西南安の舟中で病没したことを指す。遺言は「此の心光明、亦た復た何をか言わん」。阳明之卒 此心光明陽明の死
- 陽明洞の築室陽明洞の築室は、1502年に王陽明が病気で故郷に帰り、会稽山の陽明洞に庵を結んで静修し、陽明子と号したことを指す。阳明筑室 阳明洞筑室陽明洞の築室
Z
- 張居正の書院破毀張居正の書院破毀は、1579年に首輔張居正が、門徒を集めて講学し空論で職務を廃するとして、天下の書院の取り壊しを命じた事件である。张居正毁书院 毁天下书院張居正の書院破毀
- 証人社証人社は、1631年に劉宗周が紹興で創立した講学の会で、慎独・誠意を教えた。证人社 证人书院証人社
- 朱陸の弁朱陸の弁は、朱熹と陸九淵の学問の異同をめぐる論争で、一方は道問学と格物窮理を重んじ、他方は尊徳性と本心の発明を重んじた。朱陆之辨 朱陆异同 朱陆之争朱陸の弁
- 追諡と従祀追諡と従祀は王陽明の死後の名誉回復で、1567年に新建侯を追贈され文成と諡され、1584年に孔子廟に従祀された。追谥与从祀 从祀孔庙 追谥文成追諡と従祀
典籍
BOOKS · 26 項目C
D
- 顧東橋に答うる書『顧東橋に答うる書』は王陽明が顧璘に答えた長い書簡で、『伝習録』中巻に収められ、後半は名高い抜本塞源論である。答顾东桥书 答人论学书顧東橋に答うる書
- 羅整庵少宰に答うる書『羅整庵少宰に答うる書』は王陽明が羅欽順に答えた書簡で、『伝習録』中巻に収められる。答罗整庵少宰书 答罗整庵书羅整庵少宰に答うる書
- 聶文蔚に答う『聶文蔚に答う』は王陽明が聶豹に答えた二通の書簡で、『伝習録』中巻に収められ、陽明晩年の論学の代表作である。答聂文蔚聶文蔚に答う
- 大学『大学』はもと『礼記』の一篇で、宋儒が四書の筆頭に置いた経典。三綱領と八条目を説く。大学大学
- 大学問『大学問』は王陽明晩年の『大学』の体系的解釈で、1527年に思田へ出征する前に口授し、銭徳洪が記録した。大学问大学問
F
G
- 古本大学『古本大学』は王陽明が1518年に刊行した『礼記』原本の『大学』で、序と傍釈を付し、誠意を『大学』の要とした。古本大学 大学古本 大学古本旁释 大学古本序古本大学
J
- 教条示龍場諸生『教条示龍場諸生』は王陽明が竜場で学びに来た諸生のために定めた学規で、立志・勤学・改過・責善の四つを勧める。教条示龙场诸生 教条教条示龍場諸生
- 近思録『近思録』は朱熹と呂祖謙が共編した理学の入門書で、周敦頤・程顥・程頤・張載四子の語録六百余条を選ぶ。近思录近思録
K
L
M
- 明儒学案『明儒学案』は黄宗羲が編んだ明代の学術史で、六十二巻。小伝・案語・語録の選録によって二百余人の学者を記す。明儒学案明儒学案
- 明夷待訪録『明夷待訪録』は黄宗羲の政論書で、君主専制を批判し、「天下を主とし、君を客とする」ことを説く。明夷待访录明夷待訪録
N
R
S
- 四書章句集注『四書章句集注』は朱熹が『大学』『中庸』『論語』『孟子』に付した注釈で、元代以後、科挙の標準とされた。四书章句集注 四书集注 集注 章句四書章句集注
- 宋元学案『宋元学案』は黄宗羲が晩年に編纂を始め、黄百家・全祖望らが続けて完成させた宋元の学術史で、百巻。宋元学案宋元学案
T
- 通書『通書』は周敦頤が誠・神・幾を論じた書。この項目ではもう一つの著作『太極図説』にも触れる。通书 太极图说 周子通书通書
W
- 王文成公全書『王文成公全書』は1572年に謝廷傑が杭州で刊行を主宰した陽明の全集で、三十八巻。陽明の著作で最も流布した全集である。王文成公全书 阳明全书王文成公全書
- 五経臆説『五経臆説』は王陽明が竜場の悟りの後、悟ったところを五経で確かめるために書いた書で、原書は伝わらず、十三条が残る。五经臆说 五经臆说十三条五経臆説
X
- 西銘『西銘』は張載の短文で、「民は吾が同胞、物は吾が与なり」と説く。西铭 订顽西銘
- 象山語録『象山語録』は陸九淵の門人が記録した語録で、『象山先生全集』巻三十四・三十五に収められる。象山语录 象山先生全集象山語録
Y
Z
学派
SCHOOLS · 21 項目B
- 北方王門北方王門は、今の山東・河南・陝西など北方の陽明後学である。北方王门 北方王门学案北方王門
C
- 朝鮮陽明学朝鮮陽明学は朝鮮半島における陽明学の継承で、鄭斉斗が晩年に江華島で講学し、「江華学派」が形成された。朝鲜阳明学 江华学派朝鮮陽明学
- 程朱理学程朱理学は程頤・朱熹に代表される儒学の系統で、性即理・格物窮理・居敬涵養を説く。程朱理学 理学 程朱 道学程朱理学
- 楚中王門楚中王門は、今の湖南・湖北一帯の陽明の門人で、蒋信・冀元亨が代表である。楚中王门 楚中王门学案楚中王門
D
- 東林学派東林学派は顧憲成・高攀竜を中心に、無錫の東林書院で講学した学者の集団である。东林学派 东林 东林学案東林学派
G
- 甘泉学派甘泉学派は湛若水が開いた学派で、随処に天理を体認することを説き、陽明学と並び立った。甘泉学派 甘泉学案甘泉学派
J
- 蕺山学派蕺山学派は劉宗周が開いた学派で、誠意・慎独を宗とし、宋明理学の殿軍とされる。蕺山学派 蕺山学案蕺山学派
- 江門学派江門学派は陳献章が開いた学派で、広東新会江門の白沙里で講学したことに由来し、静坐による自得を説く。江门学派 白沙学派 白沙学案江門学派
- 江右王門江右王門は江西一帯の陽明の門人で、黄宗羲は彼らこそ陽明の伝を最もよく得たと考えた。江右王门 江右王门学案 江右江右王門
N
- 南中王門南中王門は、今の江蘇・安徽一帯の陽明後学である。南中王门 南中王门学案南中王門
Q
R
T
- 泰州学派泰州学派は王艮が開いた学派で、百姓日用即道を説き、門下には庶民が多かった。泰州学派 泰州学案 泰州泰州学派
X
- 現代新儒家現代新儒家は、二十世紀以降、宋明儒学を受け継ぎ現代の問題に応えることを志した学者たちである。现代新儒家 新儒家現代新儒家
- 象山学派象山学派は陸九淵の門下の学者たちで、楊簡・袁燮ら甬上四先生が最も名高い。象山学派 槐堂诸儒象山学派
- 心学心学は「心」を学問の根本とする儒学の系統で、理は心の外になく、学問の要は本心を明らかにし良知を致すことにあるとする。心学 陆王心学 陆王 心学一系心学
Y
- 陽明学陽明学は王陽明が開いた学派で、「姚江の学」とも呼ばれ、心即理・知行合一・致良知を宗旨とする。阳明学 王学 姚江学派 姚江之学 姚江学案陽明学
- 甬上四先生甬上四先生は、楊簡・袁燮・舒璘・沈煥の四人の明州(今の浙江寧波)の人で、陸九淵の学を伝えた。甬上四先生 明州四先生甬上四先生
- 粤閩王門粤閩王門は広東・福建一帯の陽明の門人で、薛侃が代表である。粤闽王门 粤闽王门学案粤閩王門
Z
- 浙中王門浙中王門は、陽明の故郷浙江一帯の門人に対する黄宗羲の呼び名で、徐愛・銭徳洪・王畿らを収める。浙中王门 浙中王门学案浙中王門
- 止修学派止修学派は李材が開いた一派で、「止修」の二字を宗旨とする。止修学派 止修学案 止修止修学派
地名
PLACES · 12 項目B
E
- 鵝湖寺鵝湖寺は今の江西鉛山県鵝湖山の麓にある寺で、1175年に鵝湖の会がここで開かれた。鹅湖寺 鹅湖书院鵝湖寺
G
- 貴陽書院貴陽書院は、1509年に王陽明が席書の招きで主講となり、知行合一を説き始めた書院である。贵阳书院 文明书院貴陽書院
J
L
- 竜場竜場は今の貴州修文県で、王陽明がここで駅丞を務め、竜場の悟りもここで起こった。龙场 龙场驿 玩易窝 龙冈竜場
- 竜岡書院竜岡書院は王陽明が竜場で講学した場所で、地元の人々が彼のために建てた。龙冈书院 何陋轩 君子亭竜岡書院
N
T
X
Y
定義は本サイト編集部が書いたもので、古人の言葉の引用ではありません。人物のうち 70 名は『明儒学案』に伝のある人物で、詳しい項目は黄宗羲の小伝の冒頭を引用しています。